大阪逃亡

2005年2月7日
結構身辺多忙な毎日なのですが、息抜きも必要と思って、
広島に単身赴任中の友人が、現地で結成しているバンドのライブをするというので、
応援に駆けつけることにしました。

ビンボーなので、新幹線には乗らず、
昼特急の高速バスに乗ってのんびり揺られて行きました。
朝、支度などを終えてから、実家に置きっぱなしのバスチケットを取りに出かけ、
そのままバイクを置いて、歩いて駅まで行きました。
梅田からバス乗り場まで約10分弱を歩き、チェックイン。
誰かの「追っかけ」風な女性7〜8人と、
ぽつぽつ男性なども混じり、全部で15人も乗車してなかったかも。
人が少ないので車内でノビノビと過ごしました。

最初のパーキングエリアでの休憩時にようやく暖かい飲み物を購入、
持ち込んでいたドーナツの朝ごはんを食べました。
次は山陽道吉備サービスエリアでの休憩。
みやげ物コーナーを物色し、大山高原ヨーグルト、
チーズ味のシュークリームなどを購入して車中で食べました。
こーいうのが旅の醍醐味ってやつですね。

出かける時も空が暗くて、曇っていたなと思ったら、
福山を通過する際、吹雪に遭遇。次第に雨に変わりました。
折りたたみの小さな傘をカバンに入れて来たので何とかなりそうだけど、
雪が降るところもある位だから、冬の雨は冷たい…。
朝9時に出発したバスは、お昼の2時に広島駅新幹線口に到着です。

降車してからの私は、どう動いてよいか解らず、
新幹線駅の構内をうろうろと探索。土産物なども物色したが、
到着してすぐに荷物を増やすのもどうかと思って購入は控えました。
無料で発行されている「るるぶ」の小冊子を見つけ、
眺めていると、新幹線口と在来線の駅構内(旅の拠点)とは、
離れていることがわかり、連絡地下道を通り抜けて移動しました。

地下の広場で休憩&用事を済ませた後でようやく地上に。
すると、路面電車が往来する町並みが目に飛び込んで来ました。
やっと広島に来たのね〜という実感が湧いたのでした。

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原爆ドーム
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広島に来たのだから、これだけは見ておきたくて出かけました。
るるぶの小冊子で予習したので、広電のフリーパスを買って、いざ乗車。
大阪・阿倍野で走っているチン電よりは新しい車両が多いです。
重い荷物を預けずに持ち歩いているので、乗り込むときのあの高い段差がキツかった…。

雨の町並みを走って行く電車は程なく原爆ドーム前までつれていってくれる。
目の前にドーンと昔の戦火の記憶をそのまま伝える、無残な建物の姿が広がった。
崩れ落ちた瓦礫も何もかも、ぜんぶ「あの時のまま」保存されているのです。
#何度か補修の工事が入ったりしているそうですが

ドームを見た後は、平和記念公園の中を散策。
千羽鶴を捧げられるスペースに立ち寄り、
資料館(入館料50円は安い!)を見学して過ごしました。
17時の閉館まで見るところが沢山あって、もう少し早く入館できればと、悔やまれました。

太平洋戦争が始まって程なく、米国が核爆弾の実験をするための標的を、
日本にしようと決めていたという資料を見た時は驚きました。
爆弾投下のダメージの強さを計測するために、
投下の候補地になっていた場所には空襲を行わないようにするとか、
綿密な計画があったことを目の当たりにして愕然としました。
大阪や京都、新潟なども候補になっていたそうです。

順路を進むと、悲惨な被災の現状を伝える展示物があり、
市民の人々の遺品や熱の為に形を変えてしまった、
生活用品などが沢山展示されていました。
ガラスのビンがくにゃりとへこみ、瓦屋根がひっついてしまう、
それだけ高熱の爆風が人々も町も破壊してしまったのだということを、実感したのでした。

戦争をしたり、核兵器を保有・実験などを行う国に対して、
歴代の広島市長は、その報道が伝えられた際には、
抗議の文書を送り続けているそうです。
それらの文書の控えが、展示されている場所には、
膨大な数の文書が貼り付けられていました。
一番新しい文書は、米国ブッシュ大統領に宛てたものでした。
戦争は、決して有益なものではないと思いました。

17時になって退場した後は、公園内の碑の前で黙祷を捧げてきました。
碑の前に立つと、先には聖火と原爆ドームが見えるのです。
平和についてじっくり考える時間になりました。